安藤忠雄の経歴
安藤忠雄が「安藤忠雄」となるまで
安藤忠雄は1941年、兵庫県鳴尾浜に住む貿易商の家に生まれる。しかし、生まれてすぐに母方の祖父母の家に引き取られ、幼少期は大阪市旭区にある祖父母の家で過ごす。
小学校に入ると祖父が他界し、祖母と二人きりの生活を送る。小学生の安藤忠雄は喧嘩っ早く、「安藤の喧嘩大将」と呼ばれていた。
中学校に入学した安藤忠雄は近所の木工所に興味を持ち始める。毎日のように近所の木工所に入り浸っていた安藤忠雄は、自宅を増築する際にも大工さんのそばを離れず、大工の仕事を無理やり手伝っていた。
工業高校に進学した安藤忠雄は双子の弟の真似でボクシングを始める。めきめきと頭角を現し、高校2年生になったときにはプロボクサーのライセンスも所得している。
(このとき安藤忠雄はタイへの遠征試合で初めて海外を経験する。)
しかし、当時のボクシング界のスター、ファイティング原田の練習風景を見るとボクシングで飯を食っていく生活をあきらめる。
高校を卒業すると会社に就職し、サラリーマンとして働いたが、性格に合わずすぐに辞めてしまう。
仕事を辞めた後は知人の伝手をたどって建築・インテリア関係の仕事を探してはなんとか生計をたてる。
安藤忠雄は家具やインテリア、建築といった仕事をこなしていくうちに自分の知識のなさに気づき勉強の必要性を感じる。二十歳になる前のこの時期から安藤忠雄は独学で勉強を始める。
本を読むだけでなく、通信教育やデッサン教室に通ううちに建築への興味を一層募らせ、とくに海外の建築家に対して熱い思い入れを抱く。
22歳では神戸の設計事務所で神戸湊川の再開発プロジェクトを手伝い、そこで知り合った大阪市立大学の水谷教授と交流を深め、研究室にも通う。
23歳のときには日本で一般の海外渡航が自由化され安藤忠雄もすぐさま渡欧をけついする。このときに欧州建築を多く見て回り、建築の感性に一層の磨きをかける。
この下積みでお金を貯めて海外への旅行に出かけるという生活を安藤忠雄は4年間続ける。
そして、4年後の1969年、安藤忠雄は大阪の梅田に安藤忠雄建築研究所を設立、1976年に「住吉の長屋」を建築する。
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